有福 正志

ARIFUKU MASASHI

有福 正志
出身地
鹿児島県
  • 有福 正志
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スケジュール

鹿児島の工業高校で建築を学んでいたにもかかわらず、クレージーキャッツやコント55号のようなお笑いにあこがれ上京。建設会社に就職し、団地の建設に関わっていたが…
ある日、建築現場に落ちていた新聞で某児童劇団の青年部の研究生募集の記事を発見。
その頃は、ほとんど情報がなく訳もわからず入所。
昼は建築、夜は研究生の二足のワラジの生活がはじまる。
その後、養成所を転々とし、自由劇場に出会う。
当時、柄本明・ベンガル・綾田俊樹・スーパーカンパニーの皆さんが出演していた。そのエネルギーと面白さに圧倒されて受験。1967年、何故か合格。
これで柄本さん達と芝居ができると思ったのも、つかの間、私が入団したら退団して東京乾電池をつくってしまった。
アララ…。
そして、アンダーグラウンド自由劇場からオンシアター自由劇場となり作品も少しずつ変わっていく。
初舞台は〝幻の水族館〟(`76年)という芝居の〝魚〟役だった。

そして、囚人やチンピラ等を経てだんだん役がもらえるようになり、印象に残っているのは〝もっと泣いてよフラッパー〟(`77年)のコミ帝国の皇太子の役で、芝居をするなと言われて悩んでいたら、大先輩の笹野さんから〝ただフッといる感じでやったら〟といわれ、なんとなくつかめた感じがして表現の幅もひとつ増えたような気がしてうれしかった。

そして、譜面も読めないのにウッドベースをやれといわれ、教則本で勉強したが、ほとんどイメージだけで弾いていた。その流れで〝上海バンスキング〟(`79年)でもウッドベースの担当になった。当時、劇場にあった古いベースは弦もボロボロで良い音が出なかったが、ある時、吉田日出子さんが冗談で〝新しい弦を買ってよ〟って和田誠さんに言ったらしく、新しい弦をプレゼントしてもらった。張り替えたらいい音がしてうれしかった。
なんて…やはり思い出深い作品だ。

〝夏の夜の夢〟(79年)という芝居ではロバにされてしまうボトムという役だったが、小道具(発泡スチロールの細工)の天才、大谷亮介が初日の朝までかかってつくってくれたロバのかぶりもの。しかも、自転車のブレーキのワイヤーを背中から回し、ポケットの中で操作するとロバの口が動く仕かけになっていた。 今、思い出しても感動する。ほとんどの物を手作りしていたわけで…芝居のラストでブラックライトの中で花が除々に開いて、最後は舞台いっぱいになるのだが…
それも手ぐすを除々にゆるめていく仕かけなのだが…
出番が終わった後もそのシーンを表階段の入口から見ていた。
まあ、その時、観た人の記憶の中にしかないわけだが、それが芝居の良い所だと思う。
芝居のしの字から教わった自由劇場も〝上海バンスキング〟の日本中を廻った旅公演の後、1984年、退団する。
気がつけば9年在籍していたことになる。
思い出せばシェークスピアも多くやっていた。〝リア王〟(`77年)〝ハムレット〟(`78年)〝マクベス〟(`83年)等、自由劇場らしいシェークスピアだった。

退団したものの何のあてもなく路頭に迷っていた。
そんな時、同じく退団していた大谷亮介が何もやっていないのも不安だからと公共施設を借りて〝アンドロマック〟という台本を上演するあてもないのに皆で集まって本読みをしていた。
その後、原田宗典氏と大谷が出会い1年後に本読みをしていた〝アンドロマック〟を題材に芝居を書いてくれた。それが〝愛は頭にくる〟(`86年)という芝居でこれが東京壱組の旗上げの公演となる。
その後、またまた大谷が放送作家の吉田秀穂氏と知り合い〝大漫才〟(`87年)を上演。
原田氏のシリアス物と吉田氏のちょっとせつないコメディーを交互に上演することになる。

原田作品〝幸せの黄色くもない石〟(`87年)〝箱の中身〟(`91年)〝分からない国〟(`95年)

吉田作品〝石鹸王国の話〟(`88年)〝青春はエレキだなんて言っちゃってお父さん〟(`90年)

等々、想い出深い。

自分の中で劇団活動がちょっとマンネリの感があり退団。
気がついたら7年の月日が流れていた。

劇団活動はもういいかなと思っていたが、芝居を演じる場を失っていたそんな時、加藤健一氏に声をかけてもらい、はじめてプロデュース公演に参加した最初の作品が〝ラン・フォー・ユア・ワイフ〟(`93年)という芝居だった。
とにかく他流試合だといきごんでいたら、今までの芝居を全て否定された。それまでは表現過多な位、表現するのが芝居だと思っていたところがあり、悩んだ。
演出の綾田俊樹氏によけいな事はするなと言われ、感じてセリフを言うだけ余計なリアクションはしないことに気づかされた。その事がわかった時は目からウロコだった。自分の芝居のスタイルが変わった気がする。
大いに感謝している。

加藤健一事務所の公演〝三人姉妹〟(`93年)〝レンド・ミー・ア・テナー〟(`96年)〝すべて世は事もなし〟(`01年)〝木の皿〟(`03年)〝エキスポ〟(`06年)〝川を越えて森を抜けて〟(`09年)等々…

2004年、東京壱組以来再会し、吉田秀穂氏の半分商業演劇のような井上順さん、愛華みれさんらと〝1954 ホテルライフ〟(`04年)

布施明さん、絵麻緒ゆうさんらと〝42丁目のキングダム〟(`05年)
劇団の芝居とはひと味違った感じで面白かった。

自由劇場の大先輩の岩松了氏の演出で〝三人姉妹を追放されしトウゼンバフの物語〟(`02年)という芝居で千本ノックのような稽古が懐かしい。

永井愛さんの〝空の耳〟(`92年)〝パパのデモクラシー〟(`95年)
女の演出家らしく細かい部分にこだわった演出だったなぁ

和田憲明氏の演出で〝12 twelve〟(`07年)久々に細かい演出で苦労したが、また参加したくなる不思議な演出家だ。

映像では今は亡き市川準氏のCMで〝ホールス〟で使ってもらい、それから10年後に映画〝東京夜曲〟(`97年)に呼んでもらい感激。不思議な縁に感謝。

また今は亡き久世光彦さんにも色々と呼んでいただいたが〝男どき女どき〟(`88年)という作品でダンスホールでホステスの胸に顔をうずめて踊っている客の役だった。
〝セリフはないが、これから時代が変わっていくことの象徴的な役です。よろしくお願いします〟と台本に手書きで書いてあり感激した。今でも宝物です。

これからも楽しい出会いがありますように!!

芸歴

映画

’93年 「卒業旅行/二ホンからきました」 監督:金子修介
’94年 「NIGHT HEAD」 監督:飯田譲治
’95年 「マークスの山」 監督:崔洋一
’95年 「白鳥麗子でございます」 監督:小椋久雄
’97年 「東京夜曲」 監督:市川準 (モントリオール国際映画祭 最優秀監督賞受賞作品)
’97年 「されど卑しき道を」 監督:中田秀夫
’98年 「Looking For」 監督:鶴巻日出雄
’98年 「極道の墓場~フリージア~」 監督:渡辺武
’99年 「完全なる飼育」 監督:和田勉
’00年 「MONDAY」 監督:サブ
’00年 「ケイゾク」 監督:堤幸彦
’01年 「アイ・ラブ・フレンズ」 監督:大澤豊
’02年 「折り梅」 監督:監督:松井久子
’05年 「疾走」 監督:SABU
’05年 「怪談新耳袋 幽霊マンション」 監督:吉田秋生
’08年 「休暇」 監督:門井肇
’08年 「ゲゲゲの鬼太郎2」 監督:本木克英
’12年 「種まく旅人~みのりの茶~」 監督:塩屋俊
’12年 「るろうに剣心」 監督:大友啓史
’12年 「人生、いろどり」 監督:御法川修
’13年 「神様のカルテ2」 監督:深川栄洋
’13年 「二流小説家 シリアリスト」 監督:猪崎宣昭
’13年 「真夏の方程式」 監督:西谷弘
’14年 「WOOD JOB!神法なあなあ日常」 監督:矢口史靖
’16年 「怒り」 監督:李相日
’17年 「サバイバルファミリー」 監督:矢口史靖
’17年 「Mr.Long/ミスターロン」 監督:SABU
’19年 「ピア まちをつなぐもの」 監督:綾部真弥
’19年 「居眠り磐音」 監督:本木克英
’19年 「閉鎖病棟~それぞれの朝~」 監督:平山秀幸
’21年 「僕と彼女とラリーと」  監督:塚本連平
’23年 「サイド バイ サイド 隣にいる人」 監督:伊藤ちひろ

舞台

’93年 「ランフォーユアワイフ」演出:綾田俊樹/本多劇場ほか
’93年 「あわれ彼女は娼婦」演出:デヴィット・ルヴォ―/ベニサンピット
’93年 「三人姉妹」演出:加藤健一/本多劇場ほか
’94年 「ラストチャンスキャバレー」演出:綾田俊樹/本多劇場
’94年 「青春グラフティ」演出:演出:綾田俊樹/青山円形劇場
’94年 「ブラックコメディ」演出:綾田俊樹/本多劇場ほか
’95年 「パパのデモクラシー」(’97年再演)演出:永井愛/ベニサンピット
’96年 「レグと過ごした甘い夜」演出:星 充/本多劇場ほか
’96年 「レンドミーアテナー」演出:星 充/本多劇場ほか
’98年 「千人のピエロ」演出:久世龍之介/本多劇場ほか
’00年 「ランフォーユアライフ」演出:綾田俊樹/本多劇場ほか
’01年 「すべて世は事もなし」演出:加藤健一/本多劇場ほか
’02年 「『三人姉妹』を追放されしトゥーゼンバフの物語」作・演出:岩松了/新国立劇場
’03年 「木の血」(’06年,’10年再演)演出:久世龍之介/本多劇場
’04年 「1954のホテルライフ」演出:吉田秀穂/シアター1010
’05年 「42丁目のキングダム」演出:吉田秀穂/アートスフィア
’06年 「エキスポ」演出:久世龍之介/本多劇場
’07年 「12twelve」演出:和田憲明/シアタートップス
’08年 「レンドミーアテナー」演出:久世龍之介/本多劇場
’09年,’12年「川を越えて、森を抜けて」演出:高瀬久男/本多劇場
’11年 「検察側の証人」演出:鈴木裕美/青山劇場
’12年 「英国王のスピーチ」演出:鈴木裕美/世田谷パブリックシアター
’12年 「犬と刀とパジャマと老人」作:金子悦子 演出協力:大谷亮介 監修:大倉順憲
’13年 「エキスポ」演出:田上ひろし
’15年 「タンゴ・冬の終わりに」演出:行定勲/パルコ劇場
’16年 「プルーフ/証明」演出:和田憲明/サイスタジオ
’16年  ウォーキング・スタッフプロデュース「三億円事件」(第24回読売演劇大賞優秀作品賞 受賞)/シアター711
’21年 「反応工程」演出:千葉哲也/新国立劇場

テレビ・配信

’87年 「旅の終わりに」(CX)
’87年 「恋子の毎日Ⅱ」(TBS)
’88年 「蛍たちの挽歌」(CX)
’88年 「男どき女どき」(TBS)
’88年 「桜子は微笑う」(EX)
’89年 「時間ですよ 平成元年」(TBS)
’91年 「熱血!新入社員宣言」(TBS)
’91年 「花をください」(TBS)
’92年~’93年「正しい結婚」(CX)
’93年 「トーキョー国取り物語」(NHK)
’97年 「恋のためらい」(TBS)
’98年 「亀岡中学教師ご一行様」(NTV)
’98年 「物書同心 いねむり紋蔵」(NHK)
’99年 「ケイゾク」(TBS)
’99年 「隣人は秘かに笑う」(NTV)
’00年 「陰の季節」(TBS)
’00年 「Friends」(TBS)
’01年 「R-17」(EX)
’01年 「ハンドク」(TBS)
’02年 「天体観測」(CX)
’04年 「我こそサムライ!」(NHK)
’07年 「わるいやつら」(EX)
’08年 「再婚ー直線」(TBS)
’09年 「サマヨイザクラ」(CX)
’09年 「白州次郎」(NHK)
’09年 「オトコマエ!2」(NHK)
’10年 「龍馬伝」(NHK)
’10年 「臨場」(EX)
’12年 「シングルマザーズ」(NHK)
’13年 「遺留捜査」(EX)
’13年 「放課後グルーヴ(TBS)
’14年 「MOZU~season1~」(TBS)
’14年 「FIRST CLASS」(CX)
’14年 「ダークスーツ」(NHK)
’14年 「恋の合宿免許っ!」(CX)
’15年 「テミスの求刑」(WOWOW)
’16年 「ヤッさん」(TX)
’16年 「未解決事件File.05ロッキード事件」(NHK)
’17年 「巨悪は眠らせない 特捜検事の標的」(TX)
’18年 「西郷どん」(NHK)
’18年 「大岡越前」(NHK)
’18年 「サイレント・ヴォイス」(BSテレ東)
’19年 「それを愛とまちがえるから」(WOWOW)
’19年 「リーガル・ハート」(TX)
’20年 「ピンぼけの家族」(NHK)
’20年 「麒麟がくる」(NHK)
’21年 「おもいでぽろぽろ」(BSP)
’21年 「ウチの娘は、彼氏が出来ない!!」(NTV)
’21年 「ネメシス」第1話(NTV)
’21年 「女系家族」(EX)
’22年 「海の見える理髪店」(NHK)
’22年 「記憶捜査スペシャル2〜新宿東署事件ファイル〜」(TX)
’22年 「プリズム」 第9回(NHK)

CM・ラジオetc

【ラジオドラマ】
’16年 FMシアター「尋ね人」(NHK-FM)
’16年 青春アドベンチャー「七帝柔道記」(NHK-FM)
’17年 青春アドベンチャー「風の向こうへ駆け抜けろ」(NHK-FM)
’19年 青春アドベンチャー「北海タイムス物語」(NHK-FM)
’22年 FMシアター「ヘルプマン-俺たちの介護物語-」(NHK-FM)

【CM】
’87年 信託銀行
’90年 日清
’90年 フットワーク
’95年,96年 参天製薬
’96年 小岩井乳業
’17年 DMM.com(webCM)
’20年 ノバルティスファーマ
’21年 IIJ